「神の国と神の義を求めなさい」  07,08.12
             マタイ6:25〜34  須賀工神学生

  主イエスは、多くの群集の前で、「思い悩むな」と語られる。
  主イエスご自身がこの言葉を語られた事を思う時、人間が
いかに思い悩む存在である事が示される。人間は、常に
日常生活でどのように生きる事が出来るか思い悩んでしまう。
  それは同時に、自分の力だけで、どうにかなるかもしれないと
いう傲慢な姿を映し出している。更に、全てを神に委ねる事の
出来ない人間の不信仰な姿を示している。
 そして、主は、全ての人間(富める者も貧しい者も病の内にある
者も全ての人間)が「鳥」や「花」よりも価値ある者とされている事を
語る。人間は価値ある者とされている。なぜなら、人間は神の
似姿として創造されているから(創1:27)。そして、他の何よりも
祝福されているから。これ以上の価値ある事はない。
 だから思い悩む必要はない。主は、改めて、神の創造の
御業
(みわざ)がいかに素晴らしいものであったかという事を語る。
  しかし、人間は、その恵みを忘れ、ただただ思い悩んでしまう。
  人間的な生活を求めてしまう。そこに罪深い人間の悲しい
現実が強く示される。「神の国と神の義を求めなさい」と主は
語られるが、人間の現実は、その所から離されてしまっている。
 主は、その現実の只中で、十字架へと向かわれ、復活された。
 それは、到底、価値があるとは思えない人間を、神の似姿とは
思う事の出来ない人間を、新たにする為に主は、十字架へと
向かった。そして、そこに救いがあるのである。この大いなる
救いの御業を知った時、使徒言行録1:14〜15のように心が
一つとされる。 それは、様々な思い悩みによって心が
分かれてしまっている私達の心を、一心に神に向けさせる
大いなる神の御業である。
 人間は、この群れの中で、一心に神に心を向け、
全てを神に委ね、熱い祈りを捧げている者の一人へと
常に、招かれている。
 そして、神の支配の内に生かされている事を確信して
生きるのである。